国立市は,図1のようにJR国立駅を中心に,大学通り,富士見通り,旭通りが放射状に広がる学園都市です.日本経済新聞(2018)には,この景観を保全したいという国立市住民の強い思いが紹介されています.
図1:JR国立駅周辺
この国立市の富士見通りで2023年1月に着工し,2025年7月に引き渡される予定だった10階建てのマンションが,2025年6月に解体されることとなり,大きな話題となりました(日本経済新聞,2024).解体の背景には,周辺住民が望む富士山の眺望のほか,日影や通風といった生活環境の保全を求める声がありました.建設計画公表直後(2021年2月)から住民の反対を受けていたデベロッパーは,国立市まちづくり条例に従い,当初の11階建て(36m)から10階建て(31m)に計画を変更して建設を進めましたが,最終的に事業を断念する結果となりました(国立市,2024).1
住宅価格と住宅政策の「4 政府介入 (4)負の外部性と土地利用規制」では,建物の高層化に伴い,市場外部に損害を与える場合,すなわち負の外部性を生じる場合,建物の高さを抑えることによって社会的余剰を最大化できることを説明しました.そこでは,建築物の高さを制御する方法として土地利用規制の一つである容積率規制を考えました.上の条例による高さ規制(高さ制限)も同様に分析できます.この規制によって,社会的余剰は最大化され,資源配分は効率的になります.注意したいのは,建物の高さが上の記事のように解体によってゼロになるわけではないことです.このため,周辺住民の余剰は建物の高さがゼロの場合に比べ減少するという問題があります.つまり,この種の規制は周辺住民に不満を残す政策だと考えられます.そこで本稿では,規制に代わる高さ制御手段を紹介します.
外部性を内部化する手段の経済学的な典型手法がピグー税です.内部化とは,負の外部性を,税を通じて価格に反映させ,市場内部に取り入れることをいいます.この方法は考案した研究者ピグー(ケンブリッジ大学)を称えて,ピグー税とよばれます.ここでは,高さを制御するため,これを「高層税」とよび,話を進めます.
図2は,住宅価格と住宅政策の「4 政府介入 (4)負の外部性と土地利用規制」の図8の再掲です.そこでの説明を思い出してみましょう.図2の建物開発において,市場均衡は需要曲線D0と供給曲線S0の交点Cで決定され,建物の高さはH0単位に達します.このとき,消費者余剰は面積ACP0に,生産者余剰は面積ICP0になります.建物の取引は購入者(消費者)とデベロッパー(生産者)の間で行われます.ただし,建物は1単位高くなるごとに,取引に参加していない周辺住民に対してzの大きさの負の外部性を発生するとしましょう.供給曲線S1はこのzを含んだ供給曲線になります.建物の高さがH0単位のとき,周辺住民は,面積P0QCI(供給曲線S1とS0の差zに建物の高さH0を掛け合わせた面積)の外部費用を被ります.社会的余剰は,消費者と生産者の余剰の合計から,周辺住民の外部費用を差し引いた値になるため,面積ABP0 – BQCになります.
図2:負の外部性と高層税の効果
ここで,地方自治体がデベロッパーに対して,高さ1単位につきzの高層税を掛けると,デベロッパーの供給曲線はS0からS1のように上方シフトします.この結果,均衡は需要曲線D0と供給曲線S1の交点Bに移動し,価格上昇に伴い建物の高さがH1単位に低下します.このとき,消費者余剰は面積ABP1に,生産者余剰は面積P0BP1にそれぞれ減少します.一方で周辺住民は,面積P0BJCの外部費用の負担にとどまります.社会的余剰は,消費者と生産者の余剰,および税収(面積IJBP0)の合計から,周辺住民の外部費用を差し引いた値になるため,面積ABP0に拡大します.住宅価格と住宅政策の「4 政府介入 (4)負の外部性と土地利用規制」で説明したように,この面積は社会的余剰を最大化しています.
しかし,上に述べたように高層税の下でも,周辺住民は外部費用を被ります.そこで,地方自治体がその税収を周辺住民への補償にすべて充てるとしましょう.このとき,周辺住民の余剰は,外部費用の面積と税収(=補償)の面積が等しいため,ゼロになります.建物の高さがゼロの場合,周辺住民は何ら影響を受けないため,やはり余剰はゼロです.したがって,高層税と周辺住民への補償を組み合わせれば,周辺住民は建物の高さがゼロの場合と無差別な状況に置かれることになります.こうすることで,周辺住民の不満を抑えながら建築物を開発することが可能となります.
地方自治体が関与せず,利害関係者同士の自発的な取引によっても,B点を達成する方法があります。この考え方を示したのが,コース(シカゴ大学)です.ただし,そのためには,景観に影響を及ぼす建物の高さを決定する権利を設定する必要があります。本稿では,この権利を「景観権」とよぶことにします.
景観権が開発による影響を受ける周辺住民に与えられたとしましょう.この場合,周辺住民は建物の高さを図3のゼロにすることが合理的と考えられます.なぜなら,そうすることによって外部費用を負わずにすみ,余剰をゼロに保てるからです.一方で,デベロッパーと購入者は,建物を開発しなければ余剰を得ることができません.たとえば,建物の高さをM単位にした場合,デベロッパーと購入者が得る余剰の合計は面積AEGIになります.しかし,このとき周辺住民は面積P0FGIに相当する外部費用を被るため,景観権を盾に開発に反対するはずです.そこで,開発受益者(デベロッパーと購入者)が周辺住民に対して外部費用をすべて補償すると提案したとしましょう.このとき,周辺住民は建物の高さがゼロの場合と同じ余剰,すなわち無差別の状態に置かれます.一方で,開発受益者は補償を支払っても,なお面積AEFP0に相当する余剰を得られるため,建物の高さがゼロの場合よりも状況が改善します.この取引の結果,建物の高さはMになります.
図3:負の外部性と景観権(周辺住民に付与)
それでは,建物は最終的にどこまで高くなるでしょうか?その答えは,社会的余剰を最大化する高さH1になります.このとき,開発受益者は周辺住民の外部費用(面積P0BJI)を補償しても,面積AEFP0を超える面積ABP0の余剰を得ることができます.一方,周辺住民は外部費用を補償されるため,建物の高さがH1であっても余剰はゼロのままになります.したがって,景観権を周辺住民に与えることは,高層税と補償の組み合わせ同様に,周辺住民の不満を抑えながら建築物を開発することを可能とします.
興味深いことに,最適な高さを達成するだけであれば,景観権を開発受益者に与えても実現できます.この場合,開発受益者は建物の高さを市場均衡で達成される図4のH0にすることが合理的です.なぜなら,これによって開発受益者の余剰が面積ACIと最大になるからです.一方,周辺住民は,建物の高さを低くしなけらば外部費用が拡大していきます.たとえば,建物の高さをN単位に低くしてもらえれば,周辺住民は外部費用を面積RQCUだけ減らすことができます.しかし,その場合,開発受益者の余剰は面積TCUだけ減るため,開発受益者は建物の高さを下げることに反対するはずです.そこで周辺住民が開発受益者に対し,この余剰の減少分をすべて補償すると提案したとしましょう.このとき,開発受益者は建物の高さがH0の場合と同じ余剰,すなわち無差別の状態に置かれます.一方で,周辺住民は補償を支払ってもなお,費用負担を面積RQCTだけ減らせるため,建物の高さがH0の場合よりも状況が改善します.結果として,建物の高さはNにむかいます.
図4:負の外部性と景観権(開発受益者に付与)
それでは,建物は最終的にどこまで高くなるでしょうか?答えは,やはり社会的余剰を最大化する高さH1です.このとき,周辺住民は開発受益者の余剰の減少分(BCJ)を補償しても,面積RQCTを超える面積BQCだけの費用負担を減らすことができます.一方,開発受益者は余剰の減少分を補償されるため,建物の高さがH1であっても余剰は,面積ACIのまま維持されます.
このように,景観権をどちらに与えた場合でも,取引を通じて効率的な建物の高さが実現します.これをコースの定理とよびます.2
しかし,冒頭で述べた高さ規制(住宅価格と住宅政策の「4 政府介入 (4)負の外部性と土地利用規制」の例)を思い出してください.高さ規制によって効率的な建物の高さが実現したとしても,周辺住民の余剰は外部費用に相当する面積P0BJIだけ減少します.景観権が開発受益者に与えられた場合,周辺住民はこの負担に加え,開発受益者への補償(面積BCJ)も負担することになり,結果として費用負担が大きくなります.このような状況は,周辺住民の不満や陳情によって,建物物の開発をいっそう困難にすることが予想されます.建築物の開発を進めるためには,周辺住民との摩擦を抑える方策として,本稿で見たような高層税と補償の組み合わせや,周辺住民への景観権の付与が有力な選択肢として挙げられます.
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